ガーベラのつぼみ

K二丁目

本の感想と、日常と。

夢をかなえるゾウを読んで

 あまりにも代わり映えの無い日々に飽き、たまには違うことをしてみようと、読書という特別でないことをしてみる。そう思ったのはいいが、いったいどのような本があるのか、どの本が読みたいのか、なかなか浮かんでこない。どうしようかと悩み始めて10分は経っただろうか、忘却の彼方であったあるタイトルを思い出しかける。「夢をかなえる―」、確か読書好きの同僚が随分と前に言葉にしていたような気がするが、うろ覚えではっきりとまでは思い出せなかった。しかしこの時代は、目の前の黒いノートで検索するとここまでヒントがあれば簡単に答えが得られる。

 カタカタと音を立てると、あっさり見つかった。「夢をかなえるゾウ」。そう、ゾウだった。出かかってたものがわかり、すっきりとしたこの気分は、確かどこかの脳科学者が「アハ体験」という言葉を使って説明していた。しかしそんな満足感を得たと同時に、少し残念な気持ちが沸いてきたことに気付いた。この本の表紙にはタイトルにある生き物が描かれているのだが、品質レベルは落書きと言ってもいい。絵心のない自分が言えたものではないが、第一印象はがっかりと言わざるを得ない。しかしもう他の本を探すのも面倒で、金額も700円もしないため、Kindleでダウンロードした。本屋に行かなくても、本屋で探さなくても、いつでも買うことができる、本当に便利な世の中になった。

 読み始めてみると、文章の表現が難しくなく、すらすらと軽快に読み進めることができる。そのことに今さらながら、普段読書をしない者からするとあり難かったことに気付く。もし小難しい本を読み始めようものなら、間違いなく途中で読むのをやめていただろう。

 話の内容はざっくりいうと、所謂自己啓発だった。それが物語として構成されており、自己啓発にありがちなうさん臭さというか、疑念を抱くような感じは受けなかった。主人公は「成功したい」という日ごろから願ううだつのあがらない男で、自己啓発を目的としてこの本を手に取ったものは、その主人公に自分を重ねることだろう。そしてこの男を変えるべく啓発していくのが、表紙にもある醜いゾウ、ガネーシャである。ガネーシャはインドの神だそうで、名前だけはなんとなく聞いたことがあった。このガネーシャは過去偉人と呼ばれる、所謂成功した者に、その男と同じように目の前に現れ、成功する手助けをしていたのだ。関西弁を操る軽妙な話し方と、本気なのかわからない冗談、それにツッコミを入れる男との対話が漫才のようで、想像力のない私でもイメージは硬くすることなくテンポよく頭に入っていった。また、このとっつきやすいやり取りのせいだろうか、ガネーシャが発する(深そうな)言葉に妙に納得してしまい、ガネーシャが男に出す課題を、自分もこなしみようかという気持ちになる。

 「で、結局何もしないのがいけないんだよな」もともと自己啓発の為ではないから、と自分に言い訳をしながら、夜の12時に近づいた時計の針を見て眠りにつく。700円で、いい時間つぶしにはできた。

いつも目の前しか見ていない

 今回の成人式も、新成人たちの暴力や飲酒によるニュースを目にする。もうそんな時期だったか、と思えば、センター試験も間もなくだ。今年のセンター試験日は、強い寒波に見舞われる予報で、「受験者には、体調管理をしっかりとしてもらいたいな」などと思ってしまう自分自身に、月日が経つことの速さをここでも感じさせられた。

 思い起こすと、自分のセンター試験は可成り気楽なものだった。というのも、国立大学を受けることもなく、初めから一般試験に的を絞っていたからだ。とりあえず受けておく、くらいの気持ちしかなかった当時の私は、出願費用等も全く頭になく、適当な学生と言わざるを得なかっただろう。それでも、幸か不幸か高校は所謂進学校で、卒業後に進学する者が殆どであったため、周りに合わせるようにそれなりの勉強はしていた結果、なんとか大学には合格することができた。

 幸か不幸か、というのはつまり、環境に合わせるように自分の人生を決めていったことが、自分にとって良かったのかどうかわからないのだ。行ける大学に行き、内定をもらった会社に勤める。それが幸せだといえばそうかもしれないし、こんなことを悶々と考えてしまうことが不満がある証拠かもしれない。大学までは、適当に過ごしていても、数年が経てば別の環境に身を置くことになるため、不安ながらも新鮮な刺激が待っていた。ところがどうだろう、社会人になってみれば、数年後、数十年後は会社の先輩、上司という具体的なイメージが目の前にある。中身がどうかというより、福袋の中を、見てしまったのだ。

忙しさがもたらす平常心

 連休明け初日。精神的にも体調は決して良いとは言えず、生活リズムが崩れていたせいで寝不足だったものの、初日という不安からいつもより早く出社する。凍っていたフロントガラスを溶かし、冷え切ったハンドルに手をかけ、車を走らせた。道がすいていたため車は快調であったが、その逆気の重さは余計に増していた。会社までそう遠くもなく、あっというまに到着してしまう。

 休み明けに気が重くなるのは大抵の人もそうだと思っているが、特にこの日は今朝からため息を繰り返していた。というのも、かねてより想いを寄せていたが、年末にあえなく振られてしまった人に、それ以来初めて顔を合わすことになるからだ。他に出会う人もおらず、恋愛経験の薄い私は、こうなることを回避できなかったのだ。

 しかし仕事の忙しさが、その気まずさを遠ざけていてくれた。気が付いたら、いつも通り会話をすることもできていたことに、精神的な安定を取り戻すことができた。帰りの車中では、すっかり休みの気分が抜けていて、いつも通りの感覚に戻っていた。

AlphaGoの影にヒカルの碁sai を感じる

 普段家でテレビを観なくなったのは、大学時代に一人暮らしを始めてからだった。大学生当時はアルバイトや遊び、勉強によりテレビを観ている時間がなかった。その習慣が今でも残っており、仕事から誰もいない自宅に帰宅しても、よくありがちなとりあえずテレビの電源をつける、ということもない。静かな部屋で一人、スマートフォンやパソコンでネットを見ているだけだ。そうすると必然的に、ニュースもそういったものから入手するようになっていった。今や便利なニュースアプリを使い、なんとなく記事を眺める。新聞の基本的な使い方として、適当に見出しを読み、興味のあるものは中身の記事を読むと効率がいい、と小学生時代に先生から言われた記憶があるが、今では目についた記事ほとんどを流し読みしている。なぜなら他に、することがないからだ。

 特に趣味のない者にとっては、こうしたニュースや、大手掲示板の2chなど、時間つぶしには最適だった。今日も明日からの仕事にため息をつきながら、いつも通りにニュースに目を通す。「ネット碁に現れた謎の囲碁棋士MasterはGoogleAIのAlphaGo」というような見出しに興味を惹かれた。

 AIとは人工知能のことであるが、日本マイクロソフトが開発した会話ボット「りんな」や、Google社の検索エンジン、自動運転など挙げれば切りがないほど様々なシーンで活用され、目まぐるしい開発・研究が進んでいる。この記事に出てきたAlphaGoは、Googleの傘下であるGoogleDeepMindが開発するAIであるが、膨大なデータベースを元に最適解をはじき出すようなアルゴリズムとは異なり、まさに自分で学習して知能を高めていくシステムが組まれている。ひと昔前では人間が圧倒していたチェスや将棋は膨大なパターンながらも、あらかじめ定義されたシステムによりプロに勝ちうるAIもあった。しかし、そういったボードゲームの中でも、その局面の数が圧倒的に多い囲碁では、まだ人間に追いつくのは時間がかかるだろうと考えられていた。ところが2016年3月、囲碁のプロの中でもトップといえる棋士に、このAlphaGoが勝利した。囲碁界では衝撃的な結果であるが、更にその4か月後の7月には世界ランキングでTOPに躍り出るなど、ますますの進化が遂げられている。

 2016年末から、このAlphaGoがさらなる進化を経て、「Master」という名でネット碁に現れた。ネット碁はプロの棋士でも今や日常的に対局をする場として普及しており、このMasterがことごとく勝利をおさめ、2017年始には61戦60勝という驚異の結果に終わった。このMasterは現れた際にはAlphaGoという正体を明かさず、その見事な打ち筋、圧倒的強さにより、謎の棋士としてすぐさま注目を集めた。その様相に、日本の漫画・アニメで囲碁ブームを起こした「ヒカルの碁」に登場するsaiの影を重ねた者は多い。ニュース記事や大手掲示板でも、この話題に対してそうしたコメントが少なくない。

 私も当時は小学生で、ヒカルの碁には漫画・アニメ共に漏れなく触れている。魅力的な話の展開にのめり込み、囲碁のゲームを買うくらいには影響されたものだった。「あの頃は何にでも興味を持っていたな」このニュースから幼い時代の頃を振り返るとは思ってもみなかったが、懐かしい気持ちを感じたのは少し心地がいい。明日に備え、この日は早めに床に就いた。

はじめに

 今年もあっという間に新年が訪れた。社会人になってから数年が経ったが、時間の流れに置いていかれている感覚は加速度的に強くなっていく。そう感じたのは、もはや帰りたいと思わなくなった遠方の実家で正月を過ごしていた時だった。日々何も考えず、流されるままに生きてきたのは今も昔も変わらないが、今のそれは学生時代とは明らかに異なっていて、楽しいと感じる時間は少ない。それでも務め人として社会に貢献できていることは、無味乾燥な生活に少しは意味を持たせていてくれている。こう考えなければ、今の自分の人生も、すぐに終わってしまうこの長期休暇も、なかなか受け入れられない。

 きっとこの先も、仕事を拠り所とした人生を送ることになるのだろうと、実家からの帰りの新幹線の喫煙ルームでタバコをふかし、時速270kmで過行く景色を眺めながら、年始業務への心の準備をしていた。「結局、去年もタバコ、やめられなかったな」心の中でつぶやくことが、今年も多くなりそうだ。